「、、、ねえ」「これ、、、じゃない、そう思わない?」
「そうかなあ。」「みんなそう思うよね。」「、、だといいと思うよ。」
「これ、、、だよね。」
「・・・・・・。なあ。」
子供の会話ではありません、大人の会話です。
でも読まれた人はまさか大人だとは思わなかったでしょう。
年代は、若い人だけではありません、実はこの言葉は50代、60代、70代、女性だけではありません、男女共です。
これらの言葉に共通していることは何ででしょうか?
それは
「同意を求める、確認の言葉です。」
「私は、、思うけど、あなた方もそう思うよね。だから賛成してよね。反対するわけないですよね。」
という意味です。
この言葉を発言する人に共通することは何でしょうか?
それは
「その場を仕切るのは私ですよ、わかってますよね。」
という暗黙の意思表示です。
この発言が、元大手の会社の社員から、お金持ちの奥さんから、PTAの役員から、あるいはいわゆる「意地が悪くうるさい人」と思われている人から発せられたらどうなるでしょうか?
うなづかざるを得ないことでしょう。
そんなことまで気にするのかと思われる方もおられるでしょうね。でもこれがほとんどの人の集まりで、派閥やグループを作る、始まりになります。
それはやがて、それに不賛成の人に阻害感や差別観を感じさせます。反対する人は孤立していきます。
やがて、意見が出せなくなります、圧迫感に耐えきれなくなってやめる人が出てきます。
結果としてそれを許した集団は活動が停滞していきます。追い出した人は無責任にも「つまんないから私も辞める。」という結末になるパターンもあります。
いじめはこういう些細な言葉から始まります。
・・・・・・・・・・・・・参考に・・・・・・・・・・・・
学校でディベートやプレゼンの授業をするとき、基本的なこととして
「賛成意見」「反対意見」があるということを学びます。
その言い方も
「私は、、、、さんの意見に賛成です。、、、さんは『・・・・』と言われましたが、私も『、、、は、、、、だと思います。』なぜならば、、、、、は、、、、だからです。」
など発言の言葉も最初はパターンとして使うことで、ディベートはスムーズに進むことを学んでいくのです。
そして、発言するときは必ず「敬語」を使うことを学びます。
「相手をおとしめることを主体とするディベートは議長が止めに入ること。」などなど、細かく訓練されてきています。
このあたりは、大人も心して学習することが必要なのだと思います。
そして「、、、さん」というように心がけましょう。
大人なのに若い女性に「、、、ちゃん」はもってのほかです。
年配の方が年下の男性に「、、君」というものやめてください。
まして、いくら先輩後輩だったとしても、ボランティアや、趣味のサークルで「呼び捨て」はないでしょう。
長い間に「当たり前」と思っていたことが「当たり前ですまない」状況になっています。特にいじめの運動に関わる人は、代表者からまず率先してより一層人権の学習に励まなければいけないと思います。
浅薄なことばかり述べられても、単なるイベントに終始されていては「いじめ体験者」「被害者」「差別を受けた人」には苦痛でしかありません。
とてもとてもデリケートな問題なのです。
それは私自身の自戒でもあります。
私も幼少年時代から外国人の中で過ごしたため、言葉が上手くしゃべれません。でも聞き取れてもうまく話せません、体が小さくいつも劣っている人として扱われてきました。学校に行けなかったから、学習障害を持ちながらそれを言うことすらできない人生でした。色んな嫌がらせを受けました。上げたらきりがありません。
それでも大学を出て公務員試験も教員試験もパスして、起業もできました。
「楽だよね」と言われることがどんなにか苦痛でしょうか、、、。
ですからいじめや差別の運動に関わることは生涯の課題と若いころから思ってきています。
それでも、まだ勉強不足と感じることが沢山あります。
皆さん一緒に勉強し、争いや憎しみのない世界を目指しましょう!
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