1980年代、特にバブルの時期は「自由」を学校に求める風潮がありました。制服を廃止しろ、席は自由にしろ、化粧くらいしてもいいだろう、人間の価値を決めるものではないだろうと盛んに言われてました。
でも自由でなく「自由奔放」を求める結果になっていました。
進歩主義を自称する学者、評論家、その本を読んだ保護者の方々、中には先生、児童生徒まで。さらには子供向けの雑誌でも。
悲しいことに選挙になるたびに、政治家たちは立候補演説でそのような主張をする人すらいました。
「学校で食事をするとき何で自由な席じゃないのだ。」
実はこれがいじめを助長してしまうのです。
学校批判を今でもする人はそのメカニズムに気づいていません。
「好きなもの同士の班」「好きなもの同士の方が何かをするとき効率が良い」
「好きなものどうしでご飯食べる方が楽しいよ」
でも一人ぼっちでご飯を食べる子供が出てきてしまいます。
「そうならないように教師が指導すべきだ」
矛盾していませんか?その子をいつも食事の席に呼んでくれる子は同じになってしまうのですよ。特定の子への無言の強制ですよ。
「○○ちゃん係り」を教室で作らせるのですか?
いつもお世話をする子、その子には大変な負担です。今はそんなことが起きないように○○ちゃん係りを作らせないようにしている学校が多いと思います。
保護者が泣いて頼んできたことがありました。
「あの子だって他の子と遊びたいんです、小学校からずっと○○ちゃんのお世話を頼まれているんです。もう解放してあげてください。来年は別のクラスにしてください。」
リーダーを育てるのには小集団活用するのが良いと言われています。
班の活用です。
それは学習の場でも少人数制を採用し、討論で学習していく方向へと進んできています。
自由の声の元
一人ぼっちでご飯を食べる子がいる
いやいや班長を押し付けられる子がいる
かつてバブルで良い思いをした大人は責任をもって現在の子供たちの世界を見てください。
あなたが20代、30代であっても、今の子供たちの状況はあなたの子供時代と全然違ってきているのですから。
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