いじめは生涯にわたり、いじめられた人を苦しませ続けます。
中学1年生の男子です。その子のクラスは学級崩壊をしました、生徒は先生の言うことを聞きません。帰りの会も席はバラバラで乱れていました。掃除の時間も着替えない生徒が多いのです。
当然いじめは出ます。たいていいじめっ子の中心人物は頭が良いです。成績だけは良いのです。人を支配する資質とでも言うのでしょうか。保護者もまた高学歴だったりします。
いじめられっ子を仮にA君、いじめっ子をB君としておきましょう。A君の家は自営業で父親は家庭に関わる時間が少なかったのです。
経済的に豊かでない家庭の子がいじめの対象になる傾向は昔からありました。
B君はある日、美術の授業の時間、外で写生をしているときにいなくなりました。それまでのいじめに耐えきれなくなったのです。まったく無計画に校舎を出てしまったのです。
それから先生たちは状況を調べ始めました、そこで分かったことは、壮絶ないじめでした。
・校庭を全力で走ってこい!
走り終えたところをバットで腹を殴る、ただでさえ苦しい所へ一発食らうのです、当然倒れます。それを何度も繰り返します。
先生たちはいじめた生徒たちを集め話をしました、厳しい言葉で叱りもしました。いったんいじめはなくなりました、それでもしばらくするとまたいじめが始まります。学級では、いったん秩序が壊れると、まるで病気になったかのようにクラスが変わらない限りいじめは続きます。
二年生になった時本人の希望でC先生のクラスに在籍するようになりました。最初は班長に立候補したり頑張る姿が見られました。でも残念がら、かつてのいじめの後遺症はそのC先生のクラスでも後を引きました。地元の有力者の子がC先生を小馬鹿にし始めたのです。
A君は再び家を飛び出しそれが頻繁になりとうとう三か月行方不明になりました。一度家出癖がつくと今度は非行化してしまうのです。
車を盗んだり、だんだん行動が犯罪傾向になってくるのです。人への害は加えません。家出をして忍び込んで物を盗んだり、車で逃げたり、、、そうどこかへ行きたかったのでしょう。
C先生の言うこともおとなしくは聞くのですが身につきません。A君の話では家出中は、団地の下の方にある配管の入口空中に入り宿にしたり、河原にビニールシートを張って野宿をしたりしていたそうです。そのうちに隠居して釣り三昧しているおじさんと会い、その人がテントで毎日過ごしているので、一緒に暮らし始め、お手伝いをしながらお小遣いをもらながら暮らしていたのです。
学年末彼はとうとう学校に来なくなりました、親からはもう私たちに関わらないでくださいとC先生に話がありました。C先生はクラスが荒れたということやら有力者のことばもあり、三年生の担任にはなれませんでした。
3年生になった時、家庭裁判所で今度家出をしたら少年院に入れるという言葉言われました。それからは家出が無くなりました。
廊下でA君に会ったC先生は「どうだ?」と聞くと「いまは学校来てます。」と答えました。
その夏地域での懇談会がありました、その時B君の母親が発言をしました。「うちの子は部活でうさぎ跳びをされました、こんなことは子供の発達に障害を与えるもので、なぜ今頃そんな練習をするのですか?」校長にかなり食って掛かっていました。
C先生は怒りを抑えるのに必死でした。子供があのすさまじいいじめをした時は学校の話をほとんど聞かず、なぜ今こんなことを言うのか、、、。
時が経ちました、夏祭りの夜、C先生はA君に会いました、「やあ今何してるの?」友達が「こいつプー太郎なんですよ。」やりきれない気持ちでした。いじめっ子のB君は有名私立大学に進学していました。
学級崩壊とか、荒れた学校ではいじめはさらに陰湿化します。先生の指導力の問題とかでは済まされません。まず先生の権威を貶めることを、します。生徒と先生の関係が逆になります。そこからいじめは始まります。
いじめっこが支配した学校では、たとえ校舎でタバコを吸っていてもそれを注意しても「先生は子供に偏見を持った。」と保護者が逆切れします。
子どもへの注意が自分の育て方が悪いと言われているようにその保護者たちは感じてしまうのです。
有力者の子供たちはたいてい学級委員候補、生徒会候補です。彼らは時に「いじめ反対」のスローガンを唱えます。でもそれは先生の評価を得るためであったりします。そして自分たちの活動に他の生徒を強制的に出させたりもします。
どうぞ誤解しないでください。学校でのリーダーの批判をしているわけではありません。
学校や学級での秩序が崩壊した時の「恐ろしさは」いじめっ子がリーダーになるという現象を生むということなのです。
いじめ反対運動をするとき、うまくいっているところは先生も生徒も地域も一体になって活動します。
でもそうでないところは、大人のやらせだったり、金に物を言わせたマスコミ受けの運動だったりします。
いじめに関する本がたくさん出ています。なぜいじめが無くならいのでしょうか?それはいじめられたことのない人の言葉は、いじめられっ子にもいじめっ子に、本物に聞こえないからです。
「こうしたら君はいじめられない」「いじめられっ子に与えるナントカノ秘訣」の類は心を打ちません。
歌つて踊って、いじめられっ子にはその場所に行くのですら苦痛でしょう。いじめをなくすためと言いながら何故派閥に拘るのでしょうか、、、。何故、自分たちの団体が一番だ、だから私達の団体と組みなさい、、、悲しすぎます。なぜそこに政治家の顔が見えるのでしょうか?なぜそこにいじめを金儲け、名誉の手段にしてしまおうとする動きがあるのでしょうか。
A君,B君,C先生は皆実在の人物です、フィクションではありません。
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